肥溜めストロベリーミックス

twitterで書ききれない思いを家の微弱なWi-Fiに乗せて届けます

僕の「節」のような存在

人は何度も同じ過ちを繰り返す。なんという事だろうか



またまた「またブログ書いてないぞ。早く書け」はてなブログよりメールが届いた。

忌々しいメールめ。。。。今度送って来やがったらぶっ殺してやる


まったく多忙では無くなったので、一先ず書いてみます。



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知ってる方も多いのではないでしょうか。

私の祖母 清水節子である


第二次世界大戦を体験しており、自分が幼少期の頃 一緒にご飯を食べていると


「今 体育でなにやってるんや?あたしの頃は竹槍で戦闘機を落とす訓練してたで」



家族団欒の食事中、アトミックボム級の話が戦闘機を撃ち落とす竹槍の如く 流れ込んで来た。

母親は言葉を失い、父親は「ば、ばあちゃん」と羽虫の様な擦れた声で 戸惑っている




そんな破天荒ファンキーババアが私の一番の理解者であり、もっとも親しかった人である。


家から少し離れた保育所上がりの自分は、小学校に入学すると 今まで遊んでいた友達が1人もおらず、まったくの0スタートを刻み いつも泣きながら家に帰っていた。

なぜ 外で遊ばず家に帰るかというと、家に定年退職したばかりの婆ちゃんがいるからだ


親は共働きで、会うのが寝る前と起床後ぐらいだったので、いつも婆ちゃんにベッタリだった

そんな落ちこぼれ陰気オタンコナス孫を嫌な顔せずに、いつも慰めてくれて、一緒に遊んでくれた。




しかし、ここで発生する大きな問題が存在した




60を超える年齢の差である



いつも家に一番に帰ると


「おー大地 おかえり。今日も友達できなかってんな。ほなでも見よか」


は?株?と思われるかも知れないが、ちゃんとしたゲームに成り立っていたのである。


あの頃、婆ちゃんが買いまくっていた大和証券の株を 5歳の孫が、テレビに一瞬流れる数字を見てそれを報告するゲームである

 婆ちゃんは歳もあり 視力は落ち 脳の処理スピードも落ちたので、孫にゲームと称して株の確認を行っていたのである。


しかし、これが後々のお年玉審査に関わるとは、当時まったく見当もつかなかった。



他にも ただ家の中を歩き回る インドア型アウトドアスポーツSANPOなど、推理型エキサイティング記憶ゲームSAGASHIMONO、オープンワールド型お婆ちゃん捜索ゲームKOUTSUJIKOなど色々やったものだ



小学校の頃 記憶にあったのは



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上級生に遊戯王カードのブラックマジシャンをパクられ、鼻水を飲むぐらいに泣いて帰って来た孫を見て、  婆ちゃんがブチ切れて学校に乗り込み

「オラァ!お前か!ウチの孫のカード盗ったんわ!!!出せタコ!!


と鬼の様に罵り、カード救出に至ったのである。

後に ブラックマジシャンは兄貴にパクられました。



婆ちゃんは毎年、自分の運動会に見て来てくれて、6年生の組体操では


お婆ちゃん「いや〜凄かったわ〜!!!あの最後のピラミッド感動した!あんたあんな高いとこ怖くなかったん?

自分「いや、俺一番下…。」


ひとつひとつ書いたら長くなるので、画像で紹介します。



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豊中に雪が降り、婆ちゃんにポストの郵便物を取ってきてもらったが、歩くスピードが遅すぎて体に雪が積もった一枚です。


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昼ごはん後に眠たくなったのか、顔面をテーブルに乗せ、枕の代わりに寝ヨダレを敷いて寝てる様子です。



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足腰が弱くなり 歩くのじゃ遅いので、いつも押して歩いてるカートにお婆ちゃんを乗せ爆走してるとこです。「あーー!!楽しい!」と喜んでました。


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姉が僕の服を使ってコーディネートしたスナップ写真です。


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アップルパイを使っていた時に、丁度お婆ちゃんが居たので リンゴ剥くのを手伝ってもらいました。

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盗み食いが発覚したので即解雇





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手を痛がっていて、ツッていると勘違いして 曲げてあげたら 「ああああああ」と雄叫びをあげ見事に骨折。「このクソ孫が」と言わんばかりのミドルフィンガー


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コーヒーの粉と勘違いして、プロテインを飲もうとしてました。昔から糖尿病なので、一発あの世


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「長生きしてな」と不意に言ったら、「こんな孫持ってよかった」とボロ泣き


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朝 なかなか起きなかったので、無理やり立たしたら立ったまま寝てる時


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今年の大晦日にパイナップルを食べてました。兄貴のワンアクセント添え









実は婆ちゃんは 自分が高校一年生の頃 認知症と診断されました。


少し前から、物忘れがひどかったり、無気力なのが増え始め 家族が察知し、病院へと連れて行きました。


この頃から 婆ちゃんと僕との関係は少し変わって行きました。


物忘れが酷くなり、同じことを何度も聞いてくるお婆ちゃんに自分はイライラし始め、何度か怒鳴った事もありました。


それでも婆ちゃんは


「ごめんなぁ…婆ちゃん 頭悪くて…。」


その言葉を聞くたびに、自分の胸がすごく痛かった。。。


高校卒業後 認知症が一気に悪化し、オムツがないと排尿、排便ができず


急に怒り出したり、夜中に徘徊したり、火をつけっぱなしで寝たり 

家で生活するには危険ということとなり、一年前に施設に移り住みました。


たまに体調が悪くなり、入院して お見舞いに行くと「おー!来てくれた!」と言って満面の笑みで迎えてくれました。


なんやかんや元気やなーと思いながら婆ちゃんとゆっくり話しました。




2ヶ月前ほど、また持病が悪くなり 入院しました。

目は開けて意識はあるのですが、声をかけても応答せず、30分ほど経って「そろそろ帰るわ〜。また来るわな」と声をかけたら




 「ダイ、帰るんか?」



その瞬間に涙がこみ上げて来て



「そんな訳ないやん、まだおるよ」

と言ってまた30分ほど一緒にいました。
それからまた応答はありませんでしたが、ちょいちょいこちらを気にかける様子がありました。







それから1ヶ月後


父親から「容体が悪化した」と連絡が入り、バイトを早退して病院に向かい 安否を確認してから家に戻ったら 深夜1時ごろに家の電話が鳴りまた病院へと急行。



その時初めて知ったのですが、ヘビースモーカーってこともあり三年ほど前から肺癌に掛かっていて  今の体力で治療は厳しいということで、治療はせず婆ちゃんは生きてきました。


肺癌から来る脳梗塞で倒れて、今回入院したという訳です。



1つの肺はまったく機能してなく


精一杯 もう1つの肺を動かして酸素マスクをつけて一生懸命 呼吸をしていました。








そして 9月26日  深夜3時に 家族に見守られ、静かに息を引き取りました。






波乱万丈な人生で苦労だらけのお婆ちゃんの話を誰よりも聞いていたので、



耳元で

「お疲れ様。長い間がんばったね。もうゆっくり休んでな」

と一言言ってお別れを告げました。



両親が仕事でいない間 ずっと面倒をみてくれて、親代わりなんかではなく、ずっと本当の親だと思っていました。




婆ちゃんがいてこその、今の僕の人格があるんだと思います。



「ダイ、帰るんか?」が最後に喋った会話でした。



これから、もう婆ちゃんが居ないと考えると涙が止まりませんが、なんとか乗り越え 見守ってくれている婆ちゃんが天国で「あれ、ウチの孫やねん」と自慢できるような立派な人間になっていきたいです。



本当に21年間 死ぬほどお世話になりました。

ありがとう。



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